犠牲という言葉が、生贄(いけにえ)に聞こえてしまうバッハ会長発言。

久しぶりに「犠牲」という言葉を聞きました。
犠牲とは、人から強要されるされるものではなく
ここは犠牲になるか!と自分で決めるものだと思っていました。

なので、アレルギークラスの違和感です。
戦争体験はありませんが、戦時中を彷彿とさせる言葉です。

記事によると、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が、五輪開催を実現するために「われわれは犠牲を払わなければならない」と述べたと、インドのPTI通信が23日までに報じた。

とあります。
犠牲って何の?命の? まさかね?
生贄のような、ただならぬ恐怖を感じてしまいます。

ひとつの権力が、井戸の中で権力をふるっている分には、別にその井戸と関係を持たなければ良いだけの話ですが、いつもの井戸から飛び出して、井戸の中と同じように権力をふりかざすと、権力は世間で俯瞰され、私利私欲とか悪どさとか醜さがあからさまになってきますね。

それにしても「犠牲」、、、ですか!
Sacrifice
タイムトラベルしたような錯覚に陥りました。

 

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